Shinkouin

写真

2013-06-06

心光院

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うちのじいちゃん27回忌、おばあちゃん13回忌の法事が行われた。

東京タワーのふもとにあるこの心光院で、
金子哲雄さんの
葬儀が、2012年10月5日に行われた所です。
ご住職の戸松義晴先生に公私に渡り、死生観などのアドバイスを頂いたそうです。

存命中、葬儀場や葬儀屋などの葬儀の進行・墓の設置建設、さらには仕出しなどの準備を自ら行い、
生前に書き上げた「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」され、皆さんもご存知だと思います。



東京タワーの南西隣にある心光教院(東京都港区東麻布1)は浄土宗のお寺でお竹大日堂が建っている。心光教院は寛永年間(1624年~1644年)、庄内出身のお竹が奉公していた佐久間勘解由(かげゆ)家の菩提寺である。お竹は信仰厚く常に念仏を怠らず、大往生をとげたという話を聞いた5代将軍綱吉の生母桂昌院は、いたく心を動かされ 金襴の布に包まれた立派な箱にお竹が当時使った流し板を納めて、増上寺別院であった心光院に寄進し、その徳光を顕彰した。3代将軍徳川家光の側室・桂昌院(寛永4年(1627年)~宝永2年(1705年))はお玉と呼ばれ、玉の輿の語源とも言われている。奈良や京都を巡ると寺社の修復・寄進では桂昌院がしばしば出てくるが、お膝元の江戸の寺社に桂昌院が出てくることは尤もなことでもあろうか。
 あるいは、また、湯殿山の宿坊に泊まった武藏国の浄蓮坊主らが、ある夜 大日如来の霊夢のお告げ「江戸大伝馬町にある佐久間家の稗女お竹はわが大日如来の化身なり」を受ける。お坊さん二名が、急遽江戸に馳せ参じ、同所を訪れお竹にこのことを告げる。しかし、その後、お竹は痩せ衰え58歳の若さでこの世を去ってしまった。
 江戸市中に「お竹如来」の噂が飛び交い、主人の佐久間氏もお竹如来像を製作する。後に羽黒山の麓にある正善院黄金堂のお竹大日堂に安置されることになる。
 心光院には当時のお竹を描いた浮世絵が残る。また、幕末には河竹黙阿弥の歌舞伎「双蝶色成曙」(別称「孝女於竹」)でも演じられた。浮世絵や歌舞伎になるほどであるから江戸市中の騒ぎも大きかったのだろう。
 お竹の墓は善徳寺(北区赤羽)(佐久間家の親戚である馬込勘解由家の菩提寺)にあるという。


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